東京2020オリンピック・
パラリンピック競技大会を終えて

世界で活躍するアスリートの育成に向けた
スポーツ医・科学的サポートの可能性

2020/03/02

フィジカルの強化で パフォーマンスを向上する。~アスレティックトレーナーの役割とは~

フィジカルの強化で パフォーマンスを向上する。~アスレティックトレーナーの役割とは~

テクニックの習得や鍛錬は競技力向上に欠かせない要素だ。秀でたテクニックを持ったアスリートは勝負に強い。では得意な技術を磨いたり、苦手な技術を克服するためにはどのようなトレーニングをすればいいのだろう。アスレティックトレーナーである広瀬統一氏は、競技特性や個々の選手の課題に合わせたフィジカルトレーニングを指導。テクニックに直結する体力・運動能力を向上させるトレーニングと、ケガをしないようなコンディショニングも幅広い年代のアスリートに提唱している。

広瀬 統一

広瀬 統一(ひろせ・のりかず)

早稲田大学スポーツ科学学術院 教授 公益財団法人日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナー なでしこジャパン(サッカー女子日本代表)フィジカルコーチ

早稲田大学人間科学部スポーツ科学科を卒業後、東京大学大学院総合文化研究科修士課程に進学し、同大学にて博士課程を修了。専門はアスレティックトレーニングと発育発達。 これまでジュニアからユース世代のサッカー選手のフィジカルコーチとして、ヴェルディ川崎(現 東京ヴェルディ)、名古屋グランパス、京都サンガ、ジェフユナイテッド市原・千葉で活動。2008年からは、なでしこジャパン(サッカー女子日本代表)のフィジカルコーチに就任し、2011年W杯ドイツ大会優勝、2012年ロンドンオリンピック銀メダル、2015年W杯カナダ大会準優勝などに貢献した。

なでしこジャパンのW杯優勝にも貢献。

ケガをしない体づくりからパフォーマンスの向上へ。

アスリートは様々なスペシャリストに支えられて競技生活を送っている。アスレティックトレーナーもそのひとり。その主な役割は、ケガの予防と応急処置、ケガを治して競技復帰するためのリコンディショニング、パフォーマンスを維持・向上するためのコンディショニングなどで、アスリートをメディカルや運動生理学の面からサポートする。

現在、なでしこジャパン(サッカー女子日本代表)のフィジカルコーチを務める広瀬統一氏は、サッカー選手だった大学時代に自身がケガをしたことでアスレティックトレーナーの重要性を認識した。高校時代にもケガはしたが、医療が関わるのは日常生活の回復まで。しかし大学で半月板損傷の手術をしたとき、競技復帰までのトレーニングをアスレティックトレーナーがサポートしてくれ、これが自分のやりたいことだと確信した。

ただし、アスレティックトレーナーは国家資格ではなく、役割が明確に定義されているわけでもない。理学療法士や柔道整復師、鍼灸師などが自らの専門をベースに活動の範囲を広げているケースもあるし、広瀬氏のように運動生理学の立場からアスレティックトレーニングを科学的に研究し、その成果を実践しているケースもあるというのが現状だ。アスレティックトレーナーにも得意分野があるわけだ。一般的に前者の場合、ケガの治療及び競技復帰までのリコンディショニングに主眼が置かれることが多く、そうしたイメージを持っている人も多いだろう。

広瀬氏のスタンスはもっと能動的で、パフォーマンス向上にスポットを当てる。

「アスレティックトレーナーとして仕事を始めた当初、私もケガからの競技復帰に力を注いでいましたが、次々に選手がケガをするわけです。ケガをするとそれまで積み上げてきたパフォーマンスが一気に低下し、100%の状態に戻すのに多くの努力と時間を要します。こんなにもったいないことはない。だったらケガをしないように体づくりをしようと考え方を変えました。そして、そういう体づくりはパフォーマンスの向上にもつながることがわかり、活動の主体がコンディショニングへとシフトしていきました」

強みである高強度持久力とアジリティを強化。

なでしこジャパンでの肩書きがフィジカルコーチなのは、広瀬氏の役割がまさに選手のパフォーマンス向上にあるからだ。サッカーに必要な体力や身体能力を持ち、あらゆる戦術が実行できるフィジカルを選手と共につくりあげる。

なでしこジャパンは、2011年W杯ドイツ大会で初優勝し、翌2012年のロンドン五輪では銀メダルに輝いたが、それ以前の日本代表は世界大会でベスト4に届かず、強豪国に負け続けていた。2008年、コーチに就任した広瀬氏は、コーチングスタッフで強化方針を話し合う中で浮かびあがってきた現状を、数値ベースで客観的に検証した。

「米国やドイツなど強いチームと真剣勝負をすると、日本は最後の15分で運動量が激減し、いつも失点していました。日本のストロングポイントは持久力だと言われてきたけれど果たして本当なのかと。そこで、基礎的な持久力ではなく、スプリントを何回も繰り返すような高強度の持久力を見るための測定方法を新たに導入。強豪国と比較してみたところ、明らかに劣っていることがわかりました」

世界一になるためには弱点のカバーも大切だが、長所に磨きをかけなければ勝てない。『攻守にアクションするサッカー』というスローガンのもと、高強度持久力と、アジリティ(俊敏性)を強化していくことが方針として固まった。

持久力トレーニングには、低・中・高強度の有酸素性から無酸素性のトレーニングまで様々なカテゴリーがあるが、フィジカルコーチはそれらをなでしこジャパン選手向けにアレンジし、日々のトレーニングメニューに落とし込む。具体的には監督が行いたい戦術的なトレーニングの項目ごとに運動時間、休息時間、セット数などを設定。強度をコントロールすることによって高強度の持久力を養った。アジリティに関しては、トレーニング前の15分ほどのウォームアップで広瀬氏が直接指導。その日に行う戦術的トレーニングの動きが良くなるよう、基礎動作や専門動作のトレーニングを行った。当時まだ浸透していなかった体幹トレーニングも行ったという。

「さらに、コーチとして大事なのは、なぜこれをやるのかを説明できることです。代表レベルになると納得できないことはやらないし、逆にプラスになるとわかれば努力を惜しみません。また全ての取り組みがうまくいくわけではないので、結果が伴わなかったときにも、その原因や次のアイデアを伝えられなければ信頼してくれません」

選手とチームが向上し続けるために。

東京2020オリンピック競技大会に向けてプレー強度の向上に取り組む。

世界的に女子サッカーのレベルが高まるなか、2020年東京五輪に向けてなでしこジャパンは『プレー強度の向上』を掲げ、高強度持久力とアジリティを磨きつつ、さらに欧米の強豪に伍して戦えるだけのパワーとスピードも兼ね備えようとしている。例えば代表合宿では股関節、臀部、下肢から体幹に至るまでの筋力アップに取り組み、10メートル走のタイムを1%短縮することを選手に課した。各プレーの初速を高めることで競り合いを制し、フィジカルコンタクトを向上させることが狙いだ。個人の運動能力だけで解決できない部分は、複数で連携するなど日本らしい動きでもプレー強度の向上は達成可能だという。

「日本は明らかに強くなっています。試合の結果はやってみなければわかりませんが、確かに言えるのは準備は裏切らないということです。準備ができていなければ絶対に結果はでません。丁寧に準備をやっていくこと、それを私は常に心がけています」

エクササイズの動画をまとめたWebサイトを開設。

現在の代表選手のパフォーマンスを向上させる一方で、広瀬氏はなでしこジャパンがチームとして向上し続ける環境づくりにも取り組む。

「U-20、U-17など下の世代のパフォーマンスも向上していなければ、世代交代のたびにチーム力が低下してしまいます。ですから各コーチングスタッフ協力のもと、なでしこのプログラムをアンダー世代にも落とし込み、各年代でどれくらいの能力が必要なのかの指標として、体力測定の目標数値を提示するといったこともしています」

代表から漏れてしまった選手も将来の代表候補として取りこぼすことのないように、トレーニングプログラムのオープン化も行っている。例えば16歳で代表入りしたけれど翌年は選考に漏れてしまった選手がいれば、20歳までの期間に代表チームではどのようなフィジカルトレーニングを行うかを伝え、次に代表に呼ばれたときに備えて準備をしてもらう。

そのためのツールのひとつとして広瀬氏が開設しているWebサイトがある。タイトルは『子どものトレーニング応援サイト』(https://www.kodomotore.com)だが内容は成人にも共通だ。ケガ予防のためのプレパレーションから体幹を刺激するコア・ストレングス、さらに下半身や上半身の基礎体力をつけるためのトレーニング、基礎体力をジャンプやスピードに変換するためのトレーニングなど多くのエクササイズが動画で紹介されており、それらの組み合わせと強度を指示することでセルフトレーニングが可能になっている。

「誰でも閲覧可能で、動画にはフォームや姿勢で意識すべきことまで解説しています。選手が自分の短所に合わせてチョイスしてもいいのですが、できれば目的や課題に合わせてトレーニングをプログラミングできる指導者に利用してほしいと思います」

アスレティックトレーナーとの連携は難しくない。

アスレティックトレーナーの存在意義は大きいが、実際にアスレティックトレーナーがいるチームは限られる。ではどうすればいいか。広瀬氏は案外身近に解決策はあるという。

「監督やコーチがアスレティックトレーナーの役割を兼任することは現実的ではありません。必要性を認識しても、個別性を持った専門的なトレーニングを行うには知識も時間も足りません。だったら環境を変えるしかないのですが、それは思ったほど難しいことではありません。いま全国には日本スポーツ協会の公認アスレティックトレーナーだけでも約4,000人がおり、意外と身近にいるのです。そうした人たちと地域でうまく連携できるシステムをつくるのが最もベストな方法ではないかと思います」

広瀬氏も研究室のOB・OGらと共に総合型地域スポーツクラブに所属し、そこから周辺の中学校に出向く形で、いろいろな部活動のサポートに当たっているという。週に1度でもアスレティックトレーナーの指導があれば育成面でのメリットは大きい。

(公財)日本スポーツ協会公認アスレティックレーナーは、各都道府県に連絡協議会を設けており、相談窓口になり得る。整形外科の医師からの依頼により、医師・連絡協議会・アスレティックトレーナーの3者が連携してアスリートの手術後のトレーニングをサポートする体制が組まれた例もあるという。

関連情報

子どものトレーニング応援サイト

https://www.kodomotore.com

出典画像:広瀬統一氏のyoutubeより

自発的成長を促す練習プログラムも構築。

自分で成長し続けられる選手が頭角を表す。

広瀬氏は研究成果を現場で活かしながら、スポーツの現場で得た経験やニーズから研究を深めている。そのひとつの研究テーマが『ジュニア期の指導』だ。約20年にわたり、小学校高学年から高校生まで3,000人ものジュニアアスリートを指導する中で見えてきたものがあるという。

「関わった多くの子どもたちの中から270人ほどがプロになり、日本代表にも5人が選ばれました。では、プロになれた選手となれなかった選手にはどういう違いがあるのか。私は運動生理学者でもあるので、身体能力の面から長年タレント発掘の研究をしてきました。しかし、なでしこでジャパンでトップアスリートも見て特に感じるのは、結局一番大事なのは、常に自分で成長し続けられる選手かどうかではないかということです」

もちろん運動生理学的にスピードがあるかどうかといったことも要素としてゼロではないが、強くなった選手が持つ最大の特徴は、向上心と自ら考える力だという。

「成長するためには何が必要かを自分で分析すること、でもわからなければ人に聞くこと、いろいろ言われる中で自分に必要なことを取捨選択することなど、課題を見つけて解決するまでのプロセスを自分で考えられる選手が結局は強くなっているんですね。指導者に言われたからではなく、自分からそれができる選手がプロになったり、プロ生活を長く続けたりしているのです」

では、自分で成長し続けられるという素養は生まれながらのものなのか。天性もあるだろうが、指導の仕方で育成は可能だと広瀬氏は言う。

成長のプロセスを意図的に踏襲させることが大切。

「課題分析をして解決するプロセスを選手が自ら考える。そうするような働きかけが指導者にできるかどうかで選手の将来が変わります」

サッカーに限らずスポーツは試合の機会が多く、課題分析→練習→本番というサイクルを何度も経験できる。成長を促すチャンスもそれだけ多いということだ。ルーティーンを繰り返すトレーニングだけでなく、ときには選手自身にトレーニングの目標や目的を設定させてプログラムまでつくらせる。褒めて引っ張ったり、助言で押したりしながら、意図的に成長のプロセスを踏襲させ、その上で成功体験を積ませることが肝要だ。それができる大人がジュニア期の指導者であるべきだと広瀬氏は強調する。

運動能力を高め戦術的な動きをマスターするフィジカルトレーニングにおいても、このアプローチは共通する。いくら言葉でああしろこうしろと指示しても選手の動きはよくならない。狙った動きをせざるを得ない条件を設定すると、選手は自ら考えるし、工夫するし、動きが洗練されていく。

「誰でもそうだと思うのですが、子どもの頃に聞いた小難しい説明なんて覚えていません。でも、こういう遊びをやって楽しかったとか、ゲームのような練習をしてテクニックが上達したということはけっこう覚えているものです。だったらそういう働きかけをした方がいいですよね」

条件設定によって成功確率をコントロールすれば、選手のモチベーションも引き出せる。ただし、中高生になってくると論理的な説明も必要で、なるほどと腑に落ちることで積極的になる年代もある。プログラムで成長を促す、説明と納得で成長を促す、2つのアプローチで取り組める指導者が、自ら成長し続けられる選手を育成できる。アスレティックトレーナーは、そうした取り組みを具体的かつ強力にサポートできる。

「私自身、プロを経験しているわけでもないし能力も選手より低いわけで、コーチとして特別優秀なわけでもありません。大事なのは選手と一緒に課題を解決していく、選手と一緒に成長していくという姿勢と覚悟。だから勉強や研究に終わりはないし、経験も増やしたい。選手以上に努力しないといけないと思っています」

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