東京2020オリンピック・
パラリンピック競技大会を終えて

世界で活躍するアスリートの育成に向けた
スポーツ医・科学的サポートの可能性

2015/03/23

自分の体の状態をデータで理解すれば次の課題や目標が明確に見えてくる。

自分の体の状態をデータで理解すれば次の課題や目標が明確に見えてくる。

生体としての人間の体の仕組みを解き明かし、科学の視点から競技力の向上や健康増進をめざす運動生理学のエキスパートである定本朋子氏。科学者らしく、信頼できる確かなデータの提供を医・科学サポートの基盤に据え、ていねいなデータの説明を通して若い選手たちに“科学の目”を養うことをめざしている。

定本 朋子

定本 朋子(さだもと・ともこ)

日本女子体育大学 教授 日本女子体育大学附属基礎体力研究所 所長

専門分野:運動生理学 ・日本体力医学会(理事) ・国立スポーツ科学センター業績評価委員会(委員) ・厚生労働省独立行政法人評価委員会(臨時委員)

医・科学サポートの大前提は
信頼できる正確なデータの提供。

科学的で効果的なトレーニングのために。

インターバルトレーニングというトレーニングメニューがある。例えば、20秒間の最大強度による運動と10秒間の休憩を8セット行うというもので、主に心肺機能の向上が期待できる。現在のアスリートにはすでに当たり前のトレーニングだろう。こうした、生体としての体の仕組みに基づいた科学的トレーニングは年々進歩しており、その基盤となる学問が運動生理学だ。定本朋子氏は、この分野における日本のエキスパート。特に呼吸循環を専門としている。

「私はそもそも生理学の研究から始めたのですが、それはひと言で言ってしまえば、人はいかにして運動を続けられるかという探究です。そこですぐに身体機能に優れたアスリートが魅力的な研究対象となりました。朝起きて顔を洗うが如く、私の研究とアスリートは一体の関係にあるのです」

得られた研究成果は、広くスポーツの発展や健康増進のために生かされるが、当然、アスリートの競技力向上にも生かされる。それがスポーツ医・科学サポートというわけだ。

「サイエンスとしての研究は、筋肉や臓器、細胞や遺伝子と細分化されてきています。実際の体力測定においても特定の筋肉や呼吸循環機能などを個別に測るため、スポーツ医・科学を"木を見て森を見ない"アプローチだと否定的な意見もあります。体全体を使ってこそのパフォーマンスだからです。しかし、選手が壁にあたったとき"森"だけを見ていては、なかなか突破できません。"森"を見られる指導者と"木"を見られる我々スタッフが双方向に連携してはじめて、突破できる壁もあると思うのです」

体育や医療の専門家がデータを測定。

日本女子体育大学では、定本氏が所長を務める『基礎体力研究所』を中心にして〈競技力向上スポーツ医・科学サポート事業〉(現在はテクニカルサポート事業)に取り組んできた。サポート内容は、メディカルチェック、フィールドテスト、競技種目別のコンディションサポート、トレーニングサポート、パフォーマンスサポートと多岐に及ぶ。

メディカルチェックでは、胸部レントゲンや心電図、血液検査に加え、筋肉の柔軟性や関節の可動域などを調べ、潜在的な体の異常やトレーニングが体に及ぼす影響などを予期する。コントロールテストでは30mダッシュや反復横跳び、立ち幅跳びなど8種目によって持久力や瞬発力、俊敏性といった基本的な体育能力を測定する。コントロールテストは、オリンピック選手も同じ内容で測定を行っており、データをトップアスリートと比較できるという大きなメリットがある。これらは全サポート選手に共通で、半年ごとの測定を基本としている。

「医・科学サポートが選手や指導者から信頼されるためには、まず提供するデータが正確でなければなりません。そこで、測定に当たっては当研究所スタッフだけでなく、本学のスポーツトレーニングセンターや健康管理センターのスタッフも動員し、体育や医療の専門家による測定体制を整えています。競技特性に合わせて行うコンディションサポートの専門的な検査では、筋厚や皮下脂肪厚の測定に超音波診断装置を使うのですが、熟練した技術者でなければ正確な数値を出すことができません。誤差の多い不正確なデータではトレーニングに役立ちません。基本的なことですが、私たちはこの点をとても重要視しています」

説明はていねいに、わかりやすく。
データの理解が選手の成長を促す。

選手と指導者の信頼関係が強固に。

データを大切に扱う。その上でスタッフ全員が心掛けていることが、"ていねいな説明"だという。

「測定したデータのフィードバックに当たっては、選手と指導者の間の信頼関係が揺らぐことのないように気を配っています。データは、それをどう解釈するかによって見方が変わります。選手と指導者の見方が違うとデータが一人歩きしてしまい、そこに疑問が生じかねません」

だから、フィードバックを行う説明会では、高校生にもわかりやすいように、繰り返し、繰り返し丹念に説明をする。

「血中乳酸値がなにを示しているのか、運動生理学を知らない高校生にわかるはずがありません。だから、血中乳酸には急激に濃度が上がる点があり、それは有酸素性のエネルギー供給だけでは足りなくて、無酸素性のエネルギーにシフトする運動強度を示していて、体力が向上してくれば有酸素性エネルギー供給能力も高まって筋肉に乳酸がたまらなくなる。つまり、運動強度を強くしても血中乳酸濃度が上がらなくなり、持久力が高まるという仕組みをきちんと理解してもらわなければなりません」

共通の理解が選手と指導者の距離感を縮めることにもなるというわけだ。データが理解できるようになると、選手が自分自身を客観的に見つめられるようになることも定本氏がこだわる医・科学サポートの恩恵だという。

「体と同時に頭も鍛え、自分を冷静に見つめることができれば、成績が伸び悩んだときやスランプに陥ったとき、別のアプローチがあることに気付けるかもしれません。それは目には見えませんが、大いなる成長と言えるのではないでしょうか」

データのフィードバックは個別のクリニックで。

選手へのフィードバックは、"クリニック"としての側面が強いと定本氏は言う。

「データの見方がわかったら、次に選手たちが知りたいのは、じゃあ自分のデータはどうなんだろうということです。私たち研究者は、平均値を求めて全体を網羅できるような理論を打ち出したいという思いがあるのですが、それを押しつけられても選手や指導者はどうしていいかわからず困ってしまいます。そこがサイエンスとの違いで、医・科学サポートにおけるフィードバックは、医師の診察のように選手一人ひとりに対するクリニックまでがセットでなければなりません」

同じ競技をしている選手の中での位置付け、トップアスリートとの比較によって選手本人は刺激も受けるし、新たな向上心も芽生えてくる。左右の筋力のバランス、持久力、スピードなど、データから個別に取り組むべきトレーニングも見えてくる。

「そうしたていねいな説明と理解があって、各競技種目に特化したトレーニングサポートやパフォーマンスサポートにスムーズにつなげていけるのです。パフォーマンスサポートでは、競技会などの現場に出向いて、競技中の動きをビデオカメラで撮影、分析し、パフォーマンス向上につながる情報を選手や指導者に伝えるのですが、データを前提にした選手個々の課題や目標を把握できているからこそ、的を射た分析や助言ができるわけで、一連の流れとして医・科学サポートを提供したいと考えています」

発達期のスポーツ医・科学は
リスクに備える有効な手段。

成功事例の集積で医・科学サポートは進化する。

2009年から東京国体を見据えて始まった〈競技力向上スポーツ医・科学サポート事業〉。期待以上のパフォーマンスと成績を見せた東京国体を通過点として、2020東京オリンピックをはじめとする国際大会に目標の場を広げ、<テクニカルサポート事業>がすでに始まっている。名称は変わってもサポートの内容は変わらない。ただし、多くの選手たちが残してくれたデータの蓄積があり、医・科学サポートのノウハウは厚みを増している。

「競技団体や指導者の理解と協力があり、成功体験を一定程度、重ねてこられたと思います。しかし、本音を言えばまだまだ成功事例が足りません。こういうデータをもとに、こういうトレーニングやサポートをして、こういうふうに体力や競技力が向上したという事例を集め、それをアーカイブにすることで、より洗練された効果的な医・科学サポートのあり方が見えてくると思うのです。そのためには長期的な視点に立った事業の継続が期待されますね」

東京都のジュニア強化選手が未来のトップアスリートへと育っていく上で、国立スポーツ科学センターなど国との連携を模索していく必要性まで定本氏は実感している。

「オリンピック・パラリンピックを招致した東京都には、全国のトップに立って若きアスリートの期待に応えてほしいと思います」

優れた選手の育成が、優れた指導者の輩出に。

「医・科学サポートは縁の下の力持ちで裏方の仕事」だという定本氏だが、やっていてよかったという瞬間や感動の場面にも数多く立ち会うことができ、関わるスタッフたちのやりがいは決して小さくないという。

「サポートしている選手が競技会で好成績をあげたときはもちろんうれしいのですが、私自身が一番うれしいのは、選手がスポーツ医・科学のデータを理解してくれたときです。そういう選手は、半年後、1年後にデータが伸びていることが多く、しっかりトレーニングに取り組んだであろうことが見て取れます」

スポーツ医・科学を発育期に身につけることは、アスリートにとって一生ものの財産にもなる。さまざまなデータを通して自分の体の状況を把握してリスクに備えることは、ケガの予防につながるからだ。

「故障が少ない選手は活躍期間を伸ばすことができます。これも発育期における医・科学サポートの重要な役割であり、そうすることで一人ひとりを伸ばしていけるのです」

さらに、スポーツ医・科学というサイエンティフィック・マインドをもった選手の将来も描いている。

「優れた選手は、優れた指導者になることが期待できます。そうした人材をひとりでも多く輩出していきたい。そんな思いも強く持って我々は取り組んでいるのです」

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