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世界で活躍するアスリートの育成に向けた
スポーツ医・科学的サポートの可能性

2017/02/13

コーチが変われば環境が変わり環境が変われば選手が変わる。~指導者のあるべき姿とは~

コーチが変われば環境が変わり環境が変われば選手が変わる。~指導者のあるべき姿とは~

アスリートの競技力向上において、コーチ(指導者)の存在は大きい。最新のスポーツ科学の導入、競技に関する専門知識、コンディションづくり、対戦相手の分析、試合運びや戦術的アドバイス、志気の高揚など、その役割は実に幅広く、それだけにコーチの振る舞い(言動や行動)は、アスリートに多大なる影響を与える。そこで注目されるのが「コーチング学」だ。今回は、現場を起点にコーチング学を探究されている伊藤雅充氏に「指導者育成」の観点から“コーチのあるべき姿”を語ってもらった。

伊藤 雅充

伊藤 雅充(いとう・まさみつ)

日本体育大学 児童スポーツ教育学部 准教授 国際コーチングエクセレンス評議会科学委員会委員 アジアコーチング科学協会副会長

人は一人ひとり違う。それがコーチングの大前提。
全ての選手に合うフリーサイズのコーチングは存在しない。

プレーが楽しいからこそアスリートは強くなれる。

コーチング学の分野において最先端かつ革新的な研究を続けている伊藤雅充氏。体育大学らしく現場と直結した研究室では、最新のコーチング学を学ぶべく集まった学生たちと共にコーチ(指導者)のあるべき姿を探究し、その知見を広くスポーツの現場で活かしてほしいと全国各地で講演やセミナーを精力的に行っている。
伊藤氏自身も、やがてコーチになりたいと考えるアスリートだった。しかし、大学時代の留学で母国のことをあまりにも知らない自分に気付き、歴史などあらゆるジャンルの本を読むようになると「知る」ことへの欲求が強くなり、スポーツ科学におけるバイオメカニクスの研究をするようになる。大学院修了後、日本体育大学の教員になると、「コーチになりたいからスポーツ科学を学びたい」と考える学生が多く、彼らが真に求めているのはコーチング学だと痛感。以来、コーチング学およびコーチ教育を専門とし、旧来の慣習や個人の経験則に頼る指導方法に一石を投じてきた。
大学院時代には、研究の傍ら女子バレーボール・ナショナルチームのアナリストを務め、アテネ・オリンピックにも帯同。実はその頃からコーチングには興味を持っていた。
また、伊藤氏が初めておこなったというコーチングの話が興味深い。まだ幼かった息子さんがテニスを始めたので、学んだコーチング学の知識を使って運動能力を向上しようと考えた。

「小さい子どもに理論を説いても絶対にわかりません。息子はただパパと遊びたいだけなんです。そこで使ったのがハードルやジャングルジムのようなものを自在に組み立てられる遊具。それを担いで公園に行き、今日は何する?と言うと、飛びこえたり、くぐったり、登ったりするコースを工夫して作り、パパと競争だとなるわけです。いろいろ試してみて思ったのは、面白くないものは子どもはやらないということです」

つまり、遊びながら自然に物事を考えられる環境を与えることができれば、子どもはワクワクしながらすくすく育っていくということ。アスリートも同じ。プレーが楽しいからこそ強くなれるのだ。この体験は伊藤氏にとってコーチングの原点となっている。

大半の時間を選手との対話に費やすトレーニングもある。

もうひとつ、コーチングとは何かを深く考えさせられる出来事があったという。大学の研修制度を利用し、家族と共に1年間オーストラリアに住んだときのことだ。9歳になった息子さんが世界ランキング1位に輝いたテニス・プレーヤー、レイトン・ヒューイットを育てたピーター・スミスの指導を受けるようになった。

「その様子を見たとき、日本のコーチングとの違いに驚きました。例えば、ラリーの中でいいショットを打つと、プレーを止めて、ナイスショットだ! でも他にも打てたところはなかった? と問いかけます。ドロップショットが決まったときも、いいアイデアだったね! でも僕がダッシュするのが見えたかい? 動きを読まれたら相手のチャンスボールになってしまうよ、という具合で、多くの時間が対話に費やされ、選手が自分の頭で考えて、オプションを増やす方向に意識を向けさせます。言うなれば一つのプレーにどれほどの選択肢があるかという事です。日本だとコーンを置いて何度も打ち込む練習をさせたりしますが、それとは対照的で、ピーターは機械ではなく人をつくっているんだと思いました」

また、その後、12歳になった息子さんが、国内のあるジュニア選手強化プログラムに参加したときの体験も忘れられないという。

「そのコーチは、指示通りのプレーができないと選手を叱咤し、ときにおまえなんかダメだと罵倒していました。選手を鼓舞しているのでしょうが、少なくとも親である私はとても嫌な気分になりました」

ただし伊藤氏は、どちらが正しいコーチングだとは断定しないし、わからないという。コーチング学の講義では、この2通りのコーチングの様子を撮影したビデオで見せて、どちらが選手を伸ばせると思うかと問いかける。学生の答えも分かれるという。

「それを様々な角度から考えることがコーチングの勉強です。実はコーチングって何が正しいかなんてはっきりわかりません。選手とコーチの間でお互いに納得ずくなら、どんなやり方であっても第三者がとやかく言うことではないかもしれないからです。ただ、ひとつ明確に言えるのは、ある選手に対して正しくても、他の選手には通用しないことの方が多いということ。当たり前ですよね。人は一人ひとり違うのですから。それがコーチングを考える上での大前提になります」

選手にもっと伸びてほしいと思うコーチは、
自分の中のオプションを増やそうと努力する。

選手の考えていることを知りたいなら、オープン・クエスチョン。

伊藤氏がセミナーでおこなう頭のエクササイズがある。2人1組になり、相手が思い描いた動物を3回の質問を通して当て合うゲームだ。2回対戦するのだが、1回戦のルールは、YESかNOで答えられる質問しかしてはいけない。この質問形式をクローズド・クエスチョンと言う。2回戦のルールはYESかNOで答えられない質問しかしてはいけないというもので、この質問形式をオープン・クエスチョンと言う。

「やってみるとわかりますが、クローズド・クエスチョンでは、その動物の色は白ですか? というような単純な質問しかできず、まぐれでない限り当てるのはかなり難しい。一方、オープン・クエスチョンなら、その動物はどこに住んでいますか? 何を食べていますか?と対象を絞り込んでいくことができるし、答える側も、事実に即しながらも当てられないようにうまく答えなければなりません。つまり、質問する側も答える側も頭を使って考えるわけです」

何を言いたいかというと、選手一人ひとりの考えていることを本当に知りたいなら、どちらの質問形式を使う方がいいですかということだ。人は一人ひとり違う。だったら、そのためのアプローチが必要だ。

「スポーツの現場でコーチが選手に対し、どういう質問をしているかを観察すると、ほとんどクローズド・クエスチョンです。こうしろと言っただろう? ハイ。わかったのか? ハイ。そういう質問が圧倒的に多いわけです。選手も面倒だから納得できていなくても、ハイと答えてしまう。コーチにすれば無意識にやっていることなので、それが選手を萎縮させたり、楽しむ気持ちをなくしてしまっていることに思い至らない。だから、こういうエクササイズを通して私はコーチたちに気付いてほしいと思っています。今どうだった? 次どうする? って聞いてあげることによって、コーチは選手がどこまで理解できたのかを知ることができるのです」

選手たちにやる気がなくて困っているというコーチは、まずは自分が普段どのように選手に質問しているかを振り返り、考えない選手をつくって、やる気を奪っているのは誰か、気付いてほしいという。

自分に何が足りないかを知り、改善しようとしているか。

コーチングには、これぞという王道も、絶対的なゴールデンスタンダードもない。どうコーチングをするかではなく、コーチはどうあるべきかが大切なのだと伊藤氏は言う。そして、これまでのコーチング学研究において、優れたコーチが持っているという3つの知識をあげる。
まず、〈対自己の知識(イントラパーソナル)〉。自分が何を知っていて、何が足りないか。自分はどういう色眼鏡で世の中を見ているか。どういう考え方をしがちか。そういう自己を知って変えようとする、自分を改善する知識である。
次に〈対他者の知識(インターパーソナル)〉。いわばコミュニケーションに必要な知識で、選手に対しては選手との接し方、保護者に対しては保護者との接し方、相手の立場や状況に合わせて人間関係を構築していくための知識だ。
そして、3番目にあげられるのが、携わる競技に関する〈専門的な知識〉となる。専門知識が1番だろうという方もいるかもしれないが、対自己の知識があれば、足りないものを学ぼうとするので、専門知識は後からいくらでも手に入れることができる。逆に対自己の知識がなければ専門知識が更新できず古いままになる。

「選手にもっと伸びてほしいと思うコーチは、その選手に合った方法を採り入れられるように、自分のオプションを増やそうと努力するでしょう。協力者を増やせばさらにオプションは増えるから、保護者や他の指導者とのコミュニケーションもとるようになります。対して、新しいことを学ぼうとせず、従来のやり方に固執するコーチは、選手を自分に合わせようとするしかありません」

どちらが選手にとって信頼できる魅力的なコーチか、考えるまでもないだろう。

「コーチングで本当に重要な部分はここだと私は思うんです。わからないことはわからないとはっきり言う、そこで新しいことを学ぼうとするコーチ、一生懸命に努力する大人を見て、自分もそうなりたいと思えば、選手も同じように学ぼうとします。コーチだってミスはします。気負わなくていい。そんな相互に信頼のある関係の中では体罰も起こり得ません」

型通りのトレーニングで選手は進歩するか?
あなたはあなたのコーチングを受けたいか?

あなたは即興で的確な指導ができますか?

何が正しいコーチングかわからないというのは、即ちコーチングに定型はなく、柔軟であるべきだということでもある。コーチング学では、「コーチングとは混沌の中で行われる構造的な即興である」と言われている。つまり、コーチングとは、決められたメニューや方法をただ行うのではなく、その状況下で起こったことを的確に読み取って、構造化された即興をすることである。構造化された即興とは何かというと、コーチが持っているそれまでの経験と学びから、この選手を伸ばすにはこのやり方がいい、こういう場合はこうした方がいい、という方法を即座に取捨選択し提示することだ。経験や知識が豊富なら選択肢も豊富で、よりよい即興が可能になるし、自ら学び、オプションをたくさん持っているコーチほど、即興を得意とする。

「選手に今、何を言うべきか、何を考えさせるべきか、選手を見てたちまちアイデアやイメージが湧いてくるということです。例えば、プロのピアニストやダンサーは突然のリクエストであっても素晴らしい音楽を奏で、舞い踊ることができますが、それは構造化された知識を持っているから即興もしっかりできるのです。毎年、毎シーズン、毎回、パターンを踏襲してあらかじめ決めた通りのことをやらせるのは簡単だし、とても楽です。しかし、それは選手に勝手に成長しろと言っているのと変わりません。しかし、選手に寄り添い、即興をしようと思ったら、普段どれだけ勉強しているか、どれだけいろいろなことに興味を持ち、引き出しを増やしているかが重要になります。そう考えると、即興の能力というのが、実はコーチング能力そのものだと言うこともできます」

だからこそコーチはずっと勉強し続ける必要があるわけだ。

自分がコーチングしている姿を録画して見れば一目瞭然。

そうは言っても、自分がどのようなコーチングをしているのか、選手に対してどういう振る舞いをしているのか、客観的に振り返ることは難しい。そこで伊藤氏の研究室では、「アクション・リサーチ」という手法を取り入れている。スポーツの現場で実際にコーチングする姿をビデオ撮影して、それをコーチ本人を含み、研究室のメンバーで見ながらディスカッションするというものだ。コーチにはあらかじめワイヤレスマイクをつけてもらい、音声もしっかり録音されるように録画する。主な対象は、コーチとして活動しながらも、もっといいコーチングをしたいと伊藤氏のもとで研究活動を行っている大学院生だ。
ディスカッションでは、気付いたことを気楽に指摘していく。例えば選手に声掛けをした場面ですぐに目線を外していれば、「言いっ放しになっている。選手が理解できたと確認できるまで目線をはずさないようにした方がいい」と意見がとぶ。声掛けの内容やタイミング、言葉の選択、目線、立ち位置など、細かいところまで改善点をあぶり出していく。

「私も自分の講義の様子を録画して見直すことをしています。他の人に指摘されないと気付かないことも多いですが、自分だけで見ても、こうした方がいいという修正点が見えてくるし、練習中にこんなことが起こっていたのか、全く見えていなかったという発見もあります」

自分の姿を見ることに抵抗を感じる人も多いと思うが、できるだけ感情を抜きにして、距離感を持って全体をのんびり見るようにすることがコツだという。
一方的に教えていないか、選手に考えさせているか、選手のことを知ろうとしているか、オープン・クエスチョンをしているか、わかりやすい説明ができているか、選手をリスペクトできているか、褒めているか、自分だったらこういうコーチの指導を受けたいか、選手たちはイキイキとした表情をしているか、などなど。そこには想像以上の気付きがあるだろう。またコーチがそのチームのNo.1ではない場合、コーチが指導しやすい心理的に安全な環境を作ることが大切だという。その仕事は、コーチを育成する側、すなわちコーチ・デベロッパーの腕の見せ所だ。

選手が学んで理解したとき
初めてコーチは教えたと言える。

名声や評価を得たいがためのエゴに取りつかれた情熱が選手をつぶす。

コーチングに王道はなくとも、伊藤氏は理想とするひとつのコーチ像を掲げている。それは「アスリート・センタード・コーチング」である。常にアスリートを中心に置いたコーチングであり、コーチは教えることへの情熱を持っていることが求められる。すなわち、情熱があればコーチに向き不向きはないという。
ただし、情熱は曲者でもある。コーチが自分自身の名声や評価を得たいがためのエゴに取りつかれた情熱もあるからだ。これを執着的情熱(オブセッシブ・パッション)と言い、行き過ぎれば選手の存在を無視した独裁者になってしまう。
アスリート・センタード・コーチングに求められる情熱は、選手とコーチがお互いを尊重、信頼し合ってよく話し合い、さらなる向上を目指して共に努力する調和的情熱(ハーモニアス・パッション)だ。

「体罰が問題になることがありますが、体罰もパッションがなければできないわけです。そもそも、選手に手が届くところに日々立ち続けているからそれが起こるわけで、そのパッションたるやすさまじいものを感じます。ただ否定するだけで、そのパッションを失ってしまっては、日本のスポーツはダメになってしまいます。問題は、本来、選手のパッションを引き出すべきなのに、コーチのパッションが行き過ぎてしまい、選手のパッションを消してしまっていることです。大事なのはパッションをどこに向けるか、どう調和的情熱に結びつけるかです」

長年の間に形成された文化も影響していると言う。ガツンと上から押さえつけるスパルタ式の厳しい指導が選手を鍛え、精神力を強くするのだという文化が日本には根強くある。文化は重力と同じで、その存在を意識しなければ、疑問に思うことなく流れに従ってしまう。そこにくさびを打ち込み、スポーツ科学の観点から理想のコーチングを追究するのがコーチング学であり、そのひとつの答えがアスリート・センタード・コーチングというわけだ。

アスリート・センタード・コーチングの本質、それは〈学び〉を理解すること。

では、アスリート・センタード・コーチングの本質とは何か。それは〈学び〉を理解することだと伊藤氏は言う。これを理解していなければ、教えることへの情熱は空回りしかねない。

「私たちは〈教える〉ということの本当の意味をけっこう履き違えているんです。教えるという行為は、相手がいい方向に学んでいったときに初めて教えたと言えるのであって、例えば教師が黒板に大事なところを書いて解説しても、子どもたちが理解していなければ教えたとは言えません。単に文字を書いてしゃべっただけなんです。だから私たちは〈教える〉ということを、選手が〈学ぶ〉ためには、という観点から考えなくてはなりません。だからこそ選手のことを知らなければいけないし、だからこそオープンクエスチョンで彼らが何を考えているのかを知り、次の手を用意しなければいけません」

そして伊藤氏は、そもそも、なぜあなたはコーチになったのですかと問いかける。

「コーチになりたいと思った最初の気持ちを振り返ると、どんなコーチであれ、子どもたちのために何かしたい、子どもたちのためにいい影響を与えたい、という思いがあったはずなんです。それがいつの間にか、自分の立場や評価といった別の目的にすり替わっているかもしれない。だとしたら、一方的に教えてばかりで、選手にネガティブな影響を与えているかもしれません。もしそうであれば、コーチは選手にとって害でしかありません」

気をつけなければならないのは、叱責したり、手をあげたりして指導されたとしても、選手がそれを後から振り返ったときに「あの厳しい指導があったから自分は成長できたんだ」と肯定してしまうこと。人間というのは自己防衛反応で、今の自分につながる過去をなかなか否定できない。

「そんな声をもって自分のコーチングは正しかったと主張するのは間違いです。怒られたり、叩かれたりしなかったらどうなっていたか、比較できないからです。だからこそ、コーチング学の研究成果などを吟味しながら、今の自分がやっていることは本当に正しいのか、何のためにコーチをやっているのかを考えてほしいのです」

選手に努力を求めるなら、
コーチも努力して最前線のコーチング学を学ぶべき。

選手は変えられない。コーチ自身が変わればいい。

コーチを対象にしたセミナーで指導上の課題についてアンケートをとると、「選手がやる気にならない」「モチベーションが上がらない」と答えるコーチが多い。問題のベクトルが選手にのみ向けられており、コーチである自分に向けている人の数はそれほど多くないのだ。

「実は選手がそうなっているのは、コーチがそうだからではないですか。選手に努力を求めるなら、コーチも努力して最前線のコーチング学を学ぶべきだと思います」

選手を変えようとする、その考え方そのものを転換することで全てが変わると伊藤氏は言う。

「選手が思うようにならないと悩む人が多いのですが、そもそも選手をうまくコントロールしようとしても、自分の分身ではないのですから操ることなどできません。他人は変えられないのです。では何を変えるか。単純です。自分が変わればいいのです。頑張れという前に自分が頑張る。勉強しろという前に自分が勉強する。コーチが変われば環境が変わり、環境が変われば選手たちもそれに適応して変わっていくのです」

コーチングとは結局、誰かを変えるテクニックやスキルではなくて、実はコーチ自身がどういう人間になりたいのかを考える学問なのだ。コーチが変われば選手も変わる。そこに気付けばコーチの心の持ちようも大きく変わる。

「他者からの評価ではなく、コーチとしての自分の能力を伸ばすことに目標が置けるようになります。自分の中に置いた目標なので、後は自分が努力すればいいので精神的にも楽になります。それに、わからないと言えるようにもなります。普段偉そうにしているとなかなか言えませんよね。でも、わからないから調べておく。君はどう思う。なるほどそんな感覚なかったよ。教えてよ。そう言ってあげる方がお互いの学びのためになるのです。わからないことはわからないで仕方ない。わからないからダメなのではなく、わからないと言えずに進歩しないことの方がよほどダメなのですから」

コーチが変われば選手が変わる。コーチが変われば社会が変わる。

伊藤氏は現場で奮闘するコーチたちにエールを送る。

「スポーツで人は不幸になってはいけない。これは私の信念です。ハッピースポーツですね!スポーツは何のためにやるのか。もちろん楽しいからであり、ハッピーな人生を送るためです。わざわざ不幸せになろうと思ってスポーツをする人はいません。しかし残念なことにスポーツから離れていく人が現実には多くいます。ジュニア時代、国際レベルの選手だったのに、その後、競技を離れた選手を追跡調査すると、その原因はほぼコーチにありました。子どもたちのために、選手たちのためにと思っていたはずのコーチが、いつの間にか真逆のことをやっている。コーチもアスリートの一人です。アスリートであれば当然、自分を向上するというところ、優れたコーチングとは何かというところに興味を持ってスポーツを運営してもらいたいと思います」

そして、コーチングには努力に見合う大きな魅力とやりがいがあると声を大にする。

「私はコーチングにとても大きな可能性を感じています。コーチが変われば選手が変わると言いましたが、それは次世代を担う人材を育成するということでもあり、私はそこに学校教育とは違うスポーツ・コーチングの魅力を感じています。コーチが変われば、社会が変わる。決して大げさではなく、私はそう信じています」

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第-回 平成28年度指導者交流シンポジウム 「壁を壊す」

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